素晴らしき哉人生❣

人は考え方や心の持ち方で、現実世界を選んでいます。貴方次第~

この世界を創り出しているのは誰??

この世界を作り出している のは誰??


この世の状況や形態は二種類のいずれかの過程で作られています。
その一つは人工物、もう一つは自然が創り出しているものです。


それぞれの共通点と相違点について、考えてみましょう。
人工物は人間の思考と意志と行動により、材料となる部品が集め
られ組織的に組み立てられ状況や形態が出現します。


自然による創造の場合は、極微の世界で原子、分子、細胞などが、
自発的に活発な動きを見せ、驚くような合理性で、集散を繰り返し
組織化して、状況や形態を創り出しています。


また、大きな物理現象いおいても、すべての変化の過程に状況を
左右する無数の分岐点があり、その究極的な部分には意識や意志が
およびません。
しかし、その知覚出来ない些細な分岐点で、ある方向に向かう
選択が為され、その集積が形態を創り出しています。


例えば、生物の成長、心臓の鼓動周期、内臓の構成や合理的な機能など
に見られる自然発生的創造です。


材料を集める、組織化する、機能を持たせるなど物質的な過程としては
人工物も自然物も両方共同じような過程です。


人工物 の場合は人の思考や意志が創造の方向を選択したり促進させ
ています。


ところが…自然の創造の場合は、それに該当するもの(変化の方向や
創造を促進させているもの)が見当たりません


創造にはその物質の変化過程がありますが、現象が、人が知覚出来る
範囲に入った時点でそれは人工物や科学の対象になります。


また物質科学の世界では観察出来た範囲の始点を原因とします。
ところが、すべての現象には人が観察や知覚出来る範囲以前の過程
があります。(原因を創り出している過程)
その領域で何が創造を進行させているか? ・・・は謎であります。


「大自然の意志?」「神の意志?」「万物に意志がある?」「宇宙には
意志がある?」「過去に起こった事象の再現か?」「異次元世界で
起こっている事象の共時性現象か?」
などなど推察はありますが、はっきりしたことは解りません。


この種の現象を生み出している情報源については、私たちの習性で
つい、これは正しい、これは間違いだと選別し、幾つかに固定しよう
としますが、この選択法や認識法では納まり切れない多様性と可能性
を示します。
私たちの想像力を遥かに超えた規模と存在(波動?)が情報源
となっています。


この世界には二通りの創造がある事を述べてきましたが、人間の場合
はどうでしょうか?


人の場合も、やはり人工的と自然的の二通りの創造をおこなっています。


人工の部門は、頭脳が創造主であり素晴らしい文明社会を創り上げて
います。
自然の創造部門では、創造主は謎であり、意識が関与出来ない自律系
の動きをつかさどり創造活動が行われています。

例外的に、この領域に意識が関与出来る部分として、心や精神が
有ります。

心や精神は物質でありませんから、補捉して 試験管の中に入れる
ようなわけにはいきません!?。
物質科学の基準からすれば、無であり、異次元の存在です。


その人の心や精神が、意識的な計画や行動とは別に、偶然と見える
人との出会い、チャンスとなる状況との出会い、心の状態が不思議
に状況を好転させる「呼び寄せ現象」などのような、
因果関係が確実でない現象(なんとなくそうなる!類の現象)
となって創造を行っています。


人の心や精神は物質でありませんが、それが意識的な計画や行動
とは別に、現象を創造するはたらきをしてるのです。


その事例を挙げると際限がありません。
それ等の事例は因果関係が確定せずケースバイケース(場当り
的?)で、汎用性に欠けています。
現象が実存しても、因果の法則が通用しない現象です。
物質現象のように、証拠や証明、確実な現象再現という手法が
使えないのがこの事象世界の創造なのです。
つまりは、「偶然だ!」「奇跡だ!」「なんでも有りの世の中だ
たまにこんな事あっても不思議でない!」或いは、現象の存在
そのものを否定する結論で自己納得するケースが多いようです。


現段階では、この種の創造(現象)の存在は自分で体験して初めて
実感されるものです。


大分、話がややこしくなってきましたので、このブログは打ち止め
にしたいと思います。


この世界には、この様な創造形式もあるのかな?…と感じて
頂ければ幸いです。



このブログを読んで頂いた皆さまの
「健康DE長生き」をお祈り致します

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